ここでは、「TEI和歌ビューワ」のページで公開しているTEI準拠テキストの作品解説を掲載しています。
千五百番歌合
後鳥羽院(1180~1239)が召した第三度百首を歌合にしたもの。歌人30人、三千首の和歌を千五百番に番え勝負させ、判者は10人が分担した。史上最大規模の歌合。
【成立】
建仁元年(1201)6月ころ百首歌として成立(後鳥羽院御集)。翌年九月ころ、歌合に改編され、10人の判者に加判が命じられたと見られる(明月記)。ただし、判者の一人である源通親は建仁二年(1201)10月21日に没したため、判詞は付されていない。したがって、歌合全体の成立はそれ以降となり、建仁三年(1203)春頃か。和歌を詠みあげる「披講」はされなかったと推定される。つまり、紙面上でのみ展開した歌合とみられる。
【歌人】
左方:女房(後鳥羽院)・左大臣(藤原良経)・前権僧正(慈円)・藤原公継・藤原公経・藤原季能・宮内卿・二条院讃岐・小侍従・藤原隆信・藤原有家・藤原保季・藤原良平・源具親・顕昭。
右方:三宮(惟明親王)・内大臣(源通親)・藤原忠良・藤原兼宗・源通光・釈阿(藤原俊成)・俊成卿女・丹後・越前・藤原定家・源通具・藤原家隆・藤原雅経・寂蓮・源家長。
結番の際、左方の歌人の順序を固定し、右方は一人ずつ順番をずらすことで、結番相手が固定しないように配慮されている。
【判者】
春一・二は藤原忠良、春三・四は釈阿(藤原俊成)、夏一・二は内大臣(源通親。加判前に没したため無判)、夏三・秋一は左大臣(藤原良経。七言絶句の判詩(漢詩による判))、秋二・三は女房(後鳥羽院。折句の判歌(和歌による判))、秋四・冬一は藤原定家、冬二・三は蓮経(藤原季経。判者としてのみ参加)、祝・恋一は生蓮(源師光。判者としてのみ参加)、恋二・三は顕昭、雑一・二は前権僧正(慈円。判歌)。歌合史において晴の歌合で院や摂関家出身の左大臣(藤原良経)、天台座主経験者(慈円)が自ら判詞を執筆するということは前例がなく、判歌や判詩という特殊な形式にも注目される。
【構成】
春二〇首、夏一五首、秋二〇首、冬一五首、祝五首、恋一五首、雑一〇首。
【伝本】
国立歴史民俗博物館蔵(高松宮旧蔵。H-600-419 ほ函1)本が南北朝期写と見られ、現存最古写本である。『新編国歌大観5』と本データベースの底本である。ほかに、宮内庁書陵部蔵桂宮本(510・58)や、東京大学国文学研究室蔵本(中世11・17・20)などの一群がそれぞれ独自の特徴をもちつつも本文が近似する。
これらとやや異なる伝本として、宮内庁書陵部蔵本(501・557)がある。これは有吉保『千五百番歌合の校本とその研究』(風間書房、1968年)の底本である。陽明文庫蔵本はこれに極めて近い本文をもつ。ほかに広島大学国文学研究室蔵本(大国774)などの一群が類似する。
ほかに有吉氏の校本では校合の対象とされなかった残欠本や断簡が複数伝わる。なかでも本能寺切は鎌倉期の書写と見られ、注目される。
【影響】
『新古今和歌集』に九〇首程度が入集しており、同集の重要な撰歌資料である。また、御子左家や六条藤家などの歌道家はもちろん、それ以外の歌人らも判者になったことで、各人の歌論や歌観が判詞から窺える点も貴重である。後世の歌論歌学書にもさまざまな形で引用された。江戸時代には版本としても刊行され、近世期の歌人たちに広く読まれ、影響を与えた。
【解説】
今回公開する本文は、十人の判者が百五十番(三〇〇首)ごとに分担した本歌合のうち、藤原定家が判者を務めた前半部分、秋四の七十五番(一五〇首)分である。定家は後鳥羽院の歌壇で多くの歌合に参加し出詠したが、執筆した判詞が現存する作品は意外に少なく、本歌合は判者としての定家や歌論を知る上で貴重な資料である。
定家は『千五百番歌合』の判詞において判詩や判歌などは用いていないが、ところどころに漢文体を採用している。その一部に『白氏文集』などを踏まえており、意図的な選択とみられる(田口暢之「典拠を踏まえた判詞―『千五百番歌合』定家判①―」鶴見日本文學會報83、2018年11月)。
また、定家自身の歌に対しては判者の常として厳しい評価を下している。しかし、一般的な単なる謙遜ではなく、自歌の詠作意図などを解説するような意図も窺える(幾浦裕之「歌合判者が自歌を判ずるとき―俊成と定家の判詞を中心に―」佐々木孝浩ほか編『古典文学研究の対象と方法』花鳥社、2024年)。
ほかに関連する主な先行研究として、浅岡雅子「千五百番歌合の定家の判詞―季歌における恋・物語の摂取をめぐって」(国語国文研究95、1994年3月)、安井重雄「『千五百番歌合』定家判詞について」(浅田徹・藤平泉責任編集『和歌文学会論集 古今集新古今集の方法』笠間書院、2004年)などがある。
(解説|田口暢之)
石清水社歌合(建仁元年)
後鳥羽院主催の歌合。歌人30人が一人ずつ「旅宿嵐」・「社頭松」・「月前雪」の三題を詠む四十五番の歌合であったが、現存するのは「旅宿嵐」題十五番の三十首のみ。
【成立】
建仁元年(1201)12月28日。現在の京都府八幡市の石清水社へ奉納。その様子は『明月記』同日条に詳しく記され、注目される。この年は7月に和歌所が設置され、11月には後鳥羽院より勅撰和歌集撰進の宣旨が下され、『新古今和歌集』の編纂が始まった。後鳥羽院は元久元年(1204)まで毎年のように石清水社へ歌合を奉納する。権力と和歌と信仰が深く結びついていた中世の和歌史を伝える資料である。小規模ではあるが、新古今時代の歌人たちがほとんど参加しており、歌人たちの題詠の詠み方を比較できる点でも貴重である。
【歌人】
左方:女房(後鳥羽院)・内大臣(源通親)・前権僧正(慈円)・藤原隆房・藤原公継・藤原経家・源通光・寂信(藤原惟方)・釈阿(藤原俊成)・俊成卿女・藤原隆信・藤原有家・藤原定家・源具親・源家長
右方:藤原忠良・小侍従・宮内卿・藤原兼宗・源通具・静賢・越前・生蓮(源師光)・中納言・寂蓮・藤原保季・鴨長明・藤原雅経・道清・藤原秀能
【判者】
判者名は記されていないが、判詞の表現や内容から釈阿(藤原俊成)かとみられる。
【伝本】
次の四本が知られる。
・国立公文書館蔵(内閣文庫)本(201・0212)
袋綴。一冊。〔江戸中期〕写。茶色無地表紙〔原装〕。縦27・4糎×横19・3糎。外題、表紙左肩の白題簽(縦17・7糎×横3・6糎)に「建仁元年石清水社歌合 全」と書写〔本文別筆〕。内題、「石清水社哥合 建仁元年十二月廿八日」〔本文同筆〕。料紙、楮紙。見返しも同じ。墨付、11丁。遊紙、前後各1丁。毎半葉8行。和歌2行書(上句末で改行)。字高、約20・8糎。奥書・識語なし。蔵書印、1オ右上と11ウ左上に「太政官/文庫」(朱・陽・方・単枠。縦4・5糎×横4・5糎)。
・鶴見大学図書館蔵本(1418706)
袋綴。1冊。〔江戸中期〕写。薄萌葱色布目地金銀泥下絵表紙〔原装〕。縦28・3糎×横19・9糎。外題なし。内題、「石清水社哥合 建仁元年十二月廿八日」〔本文同筆〕。料紙、楮紙。見返しも同じ。墨付、11丁。遊紙、前後各1丁。毎半葉8行。和歌2行書(上句末で改行)。字高、約20・5糎。奥書・識語なし。蔵書印なし。本文は内閣文庫本に極めて近い。
・彰考館蔵本(巳12・07213)
原本未見。谷山茂・樋口芳麻呂『未刊中世歌合集 上』(古典文庫、1959年)は前掲国立公文書館蔵本を底本とし、該本を調査・校合している。それによると、「紙表紙、胡蝶装、縦25・8糎、横17・9糎、一面8行、墨付11枚の近世中期頃写本」。「一番」などの番数は全体にわたって記されず、一・二番歌は勝負付を欠く。
・群馬大学総合情報メディアセンター蔵本(N911・18/I96。DOI:10.20730/100040538)
袋綴。1冊。〔江戸後期〕写。砥粉色布目地表紙〔原装〕。縦26・4糎×横17・9糎。外題、表紙左肩の白題簽(縦16・5糎×横3・9糎)に「石清水社哥合 全」と書写〔本文別筆〕。内題、「石清水社哥合/建仁元年十二月廿八日」〔本文同筆〕(「建仁」に朱引あり)。料紙、楮紙。見返しも同じ。墨付、8丁。遊紙、前1丁、後なし。毎半葉九行、和歌1行書。字高、約18・7糎。奥書・識語なし。蔵書印なし。前遊紙裏に「新田義美氏/御寄贈」の印あり。一~八・十一・十三~十五番の勝負付は朱。内題の後に、他本にはない作者一覧をもつ。
※谷山茂・樋口芳麻呂『未刊中世歌合集 上』(古典文庫、1959年)が欠脱歌二三首を集成するほか、慈円の歌稿と思われる五首(拾玉集・4188・4189・4191・4193・4194)も見える。
【解説】
各歌人の歌題の詠み方を分析すると、「旅宿の嵐」の「旅宿」はなるべく「たび」や「やど」と直接的には詠まず、表現を工夫すべき文字、すなわち『俊頼髄脳』のいう「まはして心を詠むべき文字」とみられる。一方、「嵐」はそのまま「あらはに詠むべき文字」であったようだ。
実際、藤原俊成、定家を中心とする御子左家の歌人たちは「都が恋しい」と詠むことで「旅宿」の題意を満たすことが多い。これは古典和歌における羇旅の本意に適い、表現史の蓄積もあるが、敢えて「都」を詠むことで、そこから遠く離れてしまった旅愁を強調している。
一方、「嵐」は藤原隆房、藤原兼宗、寂蓮、鴨長明など、専門歌人でない者、あるいは奇抜な表現を好む者たちが「山おろしのかぜ」「み山おろし」「松かぜぞふくさやの中山」「みねの松かぜ」と詠む。寂蓮の詠んだ「松風」は本歌合の「社頭松」題の題字「松」と重なるため、「傍題」として判者から非難された。ここからは題字をそのまま詠まず、少しでも工夫しようとした歌人の苦心の跡が読み取れる。
(解説|田口暢之)
古今和歌集
最初の勅撰和歌集。後代の勅撰和歌集はもちろん、和歌文学全般に多大な影響を与えた。中世以降は古今伝受(伝授)として秘伝化されることもあった。
【下命者】醍醐天皇。
【撰者】紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑。
【構成】
二〇巻。1100首(定家本にはほかに墨滅歌11首がある)。部立ては春上・下、夏、秋上・下、冬、賀、離別、羇旅、物名、恋一~五、哀傷、雑上・下、雑体(長歌・旋頭歌・誹諧歌)、大歌所御歌・神遊びの歌・東歌、ほかに紀貫之による仮名序、紀淑望による真名序が備わる。四季の部では自然界の時の推移にあわせ、恋の部では恋の萌芽から成就、破綻に至るまでの流れを意識するなど、和歌の配列にも工夫が凝らされる。
【成立】
仮名序・真名序には成立が「延喜五年」(905)と記される。しかし、実際には延喜一三年(913)の『亭子院歌合』の和歌も撰入しているため、そのころまで補訂されたとみられる。
【伝本】
伝本は非常に多いが、現在では藤原定家(1162~1241)が書写した本のひとつ、伊達家旧蔵本が『新編国歌大観』の底本となり、現代の『古今和歌集』注釈書の底本も定家本(貞応二年本、嘉禄二年本など)が底本となっているため、『古今和歌集』といえば定家本が研究利用にも一般利用にも広く用いられている。定家は知られているだけでも十数回『古今和歌集』を書写しており、伊達家旧蔵本のほか、冷泉家時雨亭文庫には定家筆ではないが貞応二年(1223)本、定家筆の嘉禄二年(1226)本などの古写本が伝わる。このうち、貞応二年本が早くから流布した。また、それ以外にも藤原清輔(1108~1177)が『古今和歌集』の三証本を校合して書写した清輔本、新院(崇徳院)御本に遡る藤原雅経(1170~1221)本などの系統もある。さらに、現存最古の完本である元永三年(1120)頃書写の東京国立博物館所蔵元永本は、やや独自の特徴を持つ。ほぼ同時期の書写と見られる九州国立博物館所蔵伝藤原公任筆本も知られる。残欠本や断簡も含めれば、さらに膨大な数の『古今和歌集』が現存し、各所に所蔵されている。
【底本】
ここに公開する嘉禄二年本『古今和歌集』とは、国文学研究資料館が所蔵する室町時代書写の『古今和歌集』である。『古今和歌集』写本のなかで、現存する伝本のほとんどは藤原定家が校訂した定家本と呼ばれる伝本だが、現存する定家筆写本は二本しかなく、安藤積算株式会社所蔵の伊達家旧蔵本と、公益財団法人冷泉家時雨亭文庫所蔵の嘉禄二年本がある。国文学研究資料館は、後者の冷泉家所蔵の嘉禄二年本を室町時代に忠実に模写した写本である。室町時代の冷泉家の当主であった冷泉為広が、嫡男の冷泉為和に命じて書写させ、正親町三条実望に与えたものと奥書に書かれている。詳しくは、 海野圭介「講義3 写本――奥書・識語から本の来歴と素性を知る」(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館編『本 かたちと文化 古典籍・近代文献の見方・楽しみ方』勉誠社、2024年)を参照されたい。
もう一つの定家筆本である伊達家旧蔵本は、奥書に書写した年月日が書かれていないことから書写年が不明であった。それだけでなく、近年、伊達家旧蔵本とは定家にとって家外の和歌の非専門家を対象として与えた写本であることが舟見一哉によって指摘され、伊達本を相対化することが求められている。詳しくは、舟見一哉「伊達本古今和歌集の性格―定家本『古今集』の本文異同について―」(渡部泰明・佐々木孝浩編『日本文学研究ジャーナル』1号、古典ライブラリー、2017年3月)を参照されたい。
冷泉家所蔵の嘉禄二年本は、今後基準となるべき『古今和歌集』写本のひとつとして重要な位置を占めている。室町時代の模写本ではあるものの、全体がカラー画像でオンライン公開されていることから、当該『古今和歌集』は研究利用の点でも優れているため、ここに全文を翻刻して公開する。
現在の和歌研究では定家本『古今和歌集』に拠らない『古今和歌集』の本文や異本歌を十分に検索できる基盤がない。そのため、定家本以外の『古今和歌集』が検索可能であれば見つけられていたはずの表現の影響関係や本歌取りなどを見逃している可能性がある。このような『古今和歌集』異文への対処としては西下経一・滝沢貞夫編『古今集校本』(笠間書院、1977年、新装ワイド版2007年)、久曽神昇『古今和歌集成立論』(風間書房、1960、1961年)という校本や本文集成が参照できるのだが、現在は入手しづらく一般には参照しにくい。ネットで見やすい校異情報が公開できれば表現研究に寄与し、将来他の伝本の校異情報を増補していくことで古筆切などの断簡を含めた書誌学的な研究にも役立つことが予想される。定家も意識していた代表的な異本である清輔本、具体的には国立国会図書館デジタルコレクションで公開中の、前田育徳会尊経閣文庫所蔵清輔本との校異を記述し、校異情報を公開する(現在は仮名序~春上のみ)。
『古今和歌集』をTEIに準拠してマークアップする方法について、詳しくは幾浦裕之・永崎研宣・加藤弓枝「勅撰和歌集の構造化と提示手法に関する試み―嘉禄二年本『古今和歌集』を事例として― 」(『人文科学とコンピュータシンポジウム2023論文集』情報処理学会、2023年12月)、幾浦裕之「『古今和歌集』のTEI準拠マークアップ方法」(『武蔵野文学』72号、武蔵野書院、2024年12月)を参照されたい。
(解説|幾浦裕之)
作品解説
Commentary